さて、色々学習してきましたが、知識の詰め込みでは宝の持ち腐れで、無駄な努力でしかない。
実際に有意義に活用して貰うには、貴方自身を知り、何が欠けているのか、知っておく必要があります。
良いことは、それなりに自然に実行されますから、自分に欠けている部分を意識すればよい。
とはいっても、何が良くて、何が悪いか解りずらいもので、一度分析してみましょう。
人は皆、自分なりの自我、価値観により、他人との出会いで自分を認識し、お互いに分かり合うと言うことで
本当に、物事を理解するのだが、価値観の違う人がいるのだと言うことが理解出来ないと、視野を狭めるだけでなく
自らの、個性の発展を止めてしまう。そして。どこか不満を残したまま、十分に自分を生かす事なく、老年になり愚痴の多い
生涯を閉じることになる。
そこで、自己分析すると言うことは、今までの自分の意識(自我)の在り方の、歪みに気づき、潜在意識の持つ可能性に
身をゆだねてみる作業で、自我の再構築にあたる。
しかし、自我の、再構築といっても、生きる事が前提になるだけに、かなりの心の準備がいる。
他者の、価値観も、認める事が出来るか
これは、相手が有っての、心の持ち方であって比較的、解りやすいが
難しいのが、無意識の中に潜む性格で、出しておけない意識だが、色々な場面に、無意識に登場する事になる。
時には、その人の、人格や人生をも、脅かすかすかも、しれないのである。魔が差したとよく言われる。
今の社会を、観ていると、こんな人がなぜ?、と言うような行動で、人生を棒に、振る人がいる。
そして、挫折や失敗とか、症状や問題行動、と言う物が、人間の内的成長の節目、節目に現れる事から
こうした事柄は、その人が、人間本来の在り方から、外れた状態を、真の自己の在り方に、戻そうとする作用では、ないかと思う
そこで心の持ち方が問題になる。
ただ単に、絶望するのではなく、性格傾向も含め、自分に、今何が、必要か分析し、新たな自分の在り方を模索する事にある。
人間の、一生というのは、こうした事の繰り返しで、自己を修正しながら、自己実現を果たし、賢明に生きる事こそ
人間本来の、姿ではないだろうか・・・
(
この経験が、神様が、心を与えた、真の意味で、魂様の修行にもなる。
また、他者を、真に理解、しようとする努力は、いってみれば、絶えざる自己理解への、努力なのである。
では、新たな自分を発見し人格的知性をのばすには・・・
この型の人は自己の感情を認識する能力があり、ある程度まで感情をうまく 処理する能力を持っている。自分の感情を明晰に把握出来るおかげで、この型 の人々は自律性が高く、自分の限界を知り健全な心理状態を保ち 積極的な人生観を、持つことが出来る。 不快な気分になったときも、くよくよ考え込んだりしないで早期に抜け出す事が 出来る。 自分の気持ちがはっきりわかっているので感情を適切に管理できる。 |
この型の人は感情の波に飲み込まれたまま脱出出来ない状態にしばしば陥る 気分が不安定で自分自身の抱いている感情をはっきり認識出来ないので、状況を 展望出来ず感情の中に埋没してしまう。 その結果自分の感情をコントロ−ル不能と感じ、不快な気分から抜け出す努力を ほとんどしない。 この型の人は感情に圧倒され翻弄された気分に成ることが多い 尚人の感情も感じとることも苦手なようである。 |
この型の人は自己の感情は認識する事は出来るが、それを受容してしまう事 が多く、従って気分を変える努力をしない。 受容型は二つのタイプに分かれる。 一つはいつもだいたい機嫌良く、従って気分を変えようと言う動機がないタイプ もう一つは不快な気分に陥りがちでそれを自覚しているにも関わらず、何もしないで 放置し受容しているタイプ。絶望感に屈服してしまったうつ病患者などはこのタイプ |
以上性格的な基本型に何かしら心当たりがあるだろう、全て万能と言う人は
いないだろう、しかし知性は脳が学習した習慣や反応でかなりの部分で
努力すれば矯正し向上させる事が可能、だただ神様は言う
、経験を作り出すための人や場所、出来事は選ばれ、条件や環境
そしてチャレンジや障害、機会と選択肢も選ばれているという、
それでなにを創るかはあなた方の仕事だという。